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      ハッピー嬢

心の発達が一歳レベル

本表紙 香山リカ 著

ピンクバラ心の発達が一歳レベル

現代の恋愛が、そこまでの時点で達成されるべきなのに、そうなっていなかった心の成長を取り戻すために行われる。
このメラニー・クラインという精神分析学者の理論からも証明することができます。クラインはたくさんの乳幼児をつぶさに観察しながら、子どもの内的世界は生後一年までの間にある程度の発達を遂げるという仮説を打ち出しました。
 そして、そこでの発達が十分でないと、成人になってから他者と健全な関係が作れず、さまざまな感情的トラブルを起こすと考えたのです。そのクラインの説は、現代に多く見られる恋愛のトラブルともよく一致しています。いくつかをあげてみましょう。

ハッピー嬢1 発達段階その1(クライン理論では「妄想―分析ポジション」と呼ばれる)で体験されるべきもの:「よいものや心地よさが十分にある」という基本的信頼感や安心感。
 この段階の発達が十分でない場合、現れる特徴:よいものをとことん求め、取り込もうとする貪欲さ。
 よいものをすべて手に入れているはずという万能感で覆い隠した虚しさや絶望感。よいものが手に入らないくらいなら破壊してしまった方が良いという憎しみや攻撃性。

ハッピー嬢2 発達段階その2(クライン理論では「抗うつポジション」と呼ばれる)で体験されるべきもの
:「心が痛む」と言う感情。他者にも感情があることへの気づきと思いやり。
 この段階の発達が十分でない場合、現れる特徴:埋め合わせの効かない不安、心細さ、やるせなさ。嫌な気分を無理やり押し付けられているという迫害の感情。心の痛みをごまかすための優越感、支配感、軽蔑。感情の一方通行、他者への無配慮。

 ここまで上げてきた様々な「恋愛不安」の殆んどが、クラインの考えた人生の超早期の二つの発達段階のつまづきで説明できる、と言ってもいいのではないでしょうか。

 つまり人は、恋愛することで一歳までに遂げていなければならなかった発達の失敗を、ここぞとばかりにやり直そうと、としているのです。

 こう言うと、「そうか、私の早期の発達を促してくれなかった母親が悪いんだ」と思う人もいるかもしれませんが、すべてが親の責任と決めつけるのは単略的です。

 臨床の場でも確かに、クラインの発達段階に問題を残したままとなっている人に出会うことは多いのですが、そういう人たちの成育環境に必ず問題があるというわけでもないのです。
 それに「心発達が、一歳程度」といっても、全ての部分の発達が遅れているわけではありません。
 逆に思考力や情報収集力などは昔に比べてかなり早く発達します。
「心が未熟」というよりは、発達のバランスが昔と変わってきたということかもしれません。

 しかし、恋愛する人はまさか自分がそんな大事業に取り掛かろうとしているとは、まったく気づきません。
 「ちょっとかっこいいから」「なんとなく気になるから」といつた軽い気持ちで電話番号を聞き、「今度食事でも」と誘う人がほとんどなのではないでしょうか。
 ところが、本人の意識は気軽なつもりでも、無意識の方では「来た来た! ついに、一歳のときから引きずっていた大問題を解決するチャンスが来たぞ! これを逃してなるものか!」とやる気になっているのかもしれないのです。

 そして、いざ恋愛が始まると、「そんなつもりはなかったのに」というくらい、仕事や勉強もそっちのけで恋愛の事ばかり考え、相手の一言一句が気になり、さまざまな感情が渦巻いて有頂天になったり涙に明け暮れたり・・‥。

 まるでドラマかなにかの大恋愛のような様相を呈してしまい、自分でも何が何だか全く分からない、ということになってしまいます。

「そんなに私は彼の事を好きなのかしら」と自分に尋ねても確信が持てない。まわりの人たちは「どうしてあんな男に振り回されるのよ。
 もっといい人、いくらでもいるのに」と言われたり、不倫の恋人の妻にバレののしられたり、といった問題が起きることもあるが、どうしてもやめられない。
 彼のほうが「重すぎるから」と去っていったりすると、ストーカーまがいのしつこさで迫ってしまう・・‥。

これはすべて、その恋愛が大切だから起きているわけではなくて、本人にとってその恋愛をてがかりに心の発達を遂げることが重要だからこそ、起きていることだと思うのです。
 極端なことを言えば、相手はその彼でなくてもいいのかもしれません。

ピンクバラ「おとなになりたいよ」

「出会いの機会がない」「相手がいない」という人も、同じ問題に巻き込まれている可能性があります。
 ふつうに考えれば、恋人がいない女性と同じ数だけ恋人がいない男性はいるわけですし、本当にただデートの相手が欲しいだけなら、「相手がまったくいない」と言うことはあり得ません。

 友達の二、三人に「誰かいたら紹介してね」と声をかける、職業の先輩や親戚に「そろそろ結婚も考えたいので」とお願いする、といった古典的な方法もまだ十分、有効です。
 インターネットにも危険な“出会い系サイト”ではなく、まじめな交際や結婚を目的としたサイトがたくさんあります。

 本当はそこまで手を広げて考えなくても、「職場に机が近い」「自動車教習所に一緒に入校」「会社の同僚と出かけた居酒屋で隣の席に」といった日常的な出会いの中にもきっかけはいくらでもあるはずなのですが、そういった生活の場面と恋愛の始まりと別、という意識がどこかで働いているかもしれません。

 雑誌『AERA』編集部が作った『私の恋愛と結婚』(朝日文庫、2002)には「キャリア女性にも出会いの機会はなかなかない」ということで、合コンで相手を見つけるための方法が、“そのみちのプロ”により披露されています。
 しかし、そこまで勧められている“演技”は、ふだんの生活とはあまりにかけ離れた不自然さです。

「全員にモテれば大物もかかるから、モテるために常に女でいる。これって大前提なのは。
「飲みに行きましょうよ!」なんて、アッケンランと装われるより、デートのシーンでも想像して目が潤んじゃってる女のほうが、断然そそるんじゃないかなぁ」
 
 恋愛がいかに特別なこととはいえ、始まってしまえば生活の中での仕事や友だち付き合いとも並行して行わなければならないのです。
 目を潤ませて女性らしさを装ってまでつかんだ出会いの機会から始まる恋愛は、日常生活の中にどうおさまることができるのか。他人事ながら心配になってしまいますが、逆に言えば、今の女性たちにとって恋愛はそれくらい特別なものだということなのでしょう。

 そして、なぜそれほど恋愛を特別なものと位置付けてしまうのかの背景に、先ほどから説明しているように「恋愛を通して、心の発達をやり直したい」という無意識の欲求があるのではないかと、考えられます。

 最新のファッションに身に包んだキャリア女性の心の中で、一歳未満で成長を止めた子どもが「おとなになりたいよ」と泣いている…‥という構図は、とても痛々しいものです。

 このように、「心の発達のやり直し」としての恋愛に対する必要性が高まれば高まるほど、人はますます恋愛を特別なものと考えて良くある出会いでは満足できなくなり、「出会えない」という人が増えることになるのです。

 また運よく出会いがあって恋愛が始まったとしても、恋愛に求めるものがあまりにも大きすぎるため、ふつうの楽しくて安心できる恋愛ができません。

 そして同時に、恋愛するということは一歳のときの自分やそのときに自分の周りにいた家族などと直接、向き合い直すことになるわけですから、目の前の恋愛とは関係ない不安や恐怖、嫉妬や羨望などがむくむくと心の底からわき起こってくることにもなるのです。

 こうなるともはやその人は、その恋愛で苦しんでいるとは言えません。恋愛がきっかけで目を覚ました、自分の中にある本質的な問題で苦しんでいるのです。

 では、いったいどうすればいいのでしょう。究極の結論を言えば、「心の発達を恋愛だけでやり直そうとしないほうがいい」ということです。

 母親や父親、きょうだいや先生、同級生や同僚などとの間でゆっくりと遂げてこなければなかった「心の発達」を、今目の前に現れた恋人に期待するものが過剰になり過ぎて、せっかくの恋愛そのものが上手くいかなくなってしまいます。
 恋愛は、そこに乗りさえすれば永遠に救済され、すべてが解決する「ノアの方舟」ではありません。
 つづく 不安から抜け出すための11の処方箋